つれづれなるまま

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未来で小学生になってきました(夢)

私は学校にいます。

多分、今の次女くらいの年齢です。

教室に生徒が揃い、担任の先生がやってきました。

しかし、私ともう一人の友人は、あと5分くらいで始まる
空手のレッスンに行かねばなりません。

でも授業が始まってしまう・・・・・

どうしよう。。。。

とオタオタしていると担任が

「君達は個別レッスンがあるのは?」

といいました。

「ああ。 皆と授業を受けなくてもいいんだ!」
と急いで、空手レッスンの行われる体育館のような施設まで走りました。

そこでは年齢に関係なく
いろんな人が自主練習や、レッスンを受けていました。

自分より小さい子もいるし
ジャグリングを練習している60歳くらいの女性もいました。

人間の身体能力は格段にパワーアップしていました。
少林サッカーみたいなことをしている子もいましたよ^^

私達は急いで保護用のプロテクターをつけている・・・・・

そこで目が覚めました。
とてもワクワクした楽しい気持ちでした。

アセンション後は教育もボーダレスになり
皆が同じ授業を受けることを強制されることが無くなると
いいな~
なんて思いました。





エムニマさんにいただいた本の中の一冊
(エムニマさんありがとう~!)

「宇宙戦争」(ソリトンの鍵)  光悠 白峰さん
の「推薦文に変えて」というタイトルで中山康直さんの文より抜粋。

現在に出現している新人類は、楽しむために地球に来ていることを
知っている。
知っているだけでなく、すでに楽しんで生きている
それが、新人類といわれる超人間なのである

二千年たった今、ふと思えばキリストの言った事が
何をかくそう現実として現れているではないか。

新人類の出現はキリストの再臨でもある
新人類の世界には宗教はない、もちろん戦争もない
当然、競争社会もないから、わかちあいの社会となる

科学は愛の科学としての遊びとなり
その遊びは芸術そのものとなる

そしてそれらを味わえる生命という事実があることが
その生命を活動させる

ありがたいライフに繋がり楽しく豊かな現実とともに創っていく
これは、何も理想ではなく、生命原理として、当たり前のことである
理屈を超えて自然とはそうなっている
我々人間は、その自然から生まれ、育まれているという真実があり
その真実すべてを物語っているのだ

もし、理想だと思ったならば、生命としてあまりにも可能性がない
プランを選択しているということだけである


だから、もう生きている価値を見出さなくても大丈夫

生きていることの確信を悟りの世界に求めなくても大丈夫

生きていることを見失い精神世界に逃げ込まなくても大丈夫

そもそも、そんな暇はない、すでに生きているのだから

生きていることを実感し、表現していくことを忘れずにいこう
それが、どんなに生命として大切なことなのか
むしろ今までは、囚われていて、それができなかったのである

これからは、その当たり前のことが、ありのままに出来るようになる
つまり、生きていることそのものをシンプルに楽しむことが・・・・・

主役は神でもなく、仏でもなく、まして宇宙でもない
もともとの世界のように主役は、かけがえのない、この生命。
最高の幸せとは、生きていることそのものにある。



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