つれづれなるまま

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そのⅡ

学校で喋らない、笑わなくなったのは、いつか思い出せませんが
多分、一年生の最初の頃だと思います。

忘れ物が酷い私への罰として母は筆箱に大きく「忘れるな!」と
マジックで書かれました。
とても恥ずかしくて悲しくて、その書かれた部分をカッターで
切り落としました、ベニヤのような板がむき出しになりました。

体操着と給食着を持ち帰るのを忘れるので
注意していたら、ランドセルを忘れてしまったこともあります。

酷い・・・・・。

息子も似たようなものだったので
息子が低学年の間は少なくとも週に一度は学校に行って
溜め込んだものを整理したりしてました。
出せというものは出さず
持って帰るべきものを置いてくる子だったので

あの連絡ノートを見たら息子は責められません。

二年生の時に転校してきた女の子も
私と同じで学校で喋りませんでした

何となく似たもの同士仲良くなって
お互いの家を行き来する仲良しになりました
学校では喋りませんが、本当はふざけたりするのが大好きでした。

その子とはずっと親友でした。

友達は出来たが・・・・
学校では相変わらずで勉強はまったくわかりません

そろばんがまったく理解できず
怒りが爆発した母は、私の目の前で、そろばんを壊しました。

その恐怖からか今でも数字が苦手で
暗算も出来ません、思考がストップするのです。

学生の間、数学はずっと赤点でした。

勉強だけでなく、運動も超苦手でした。
だから運動会は大嫌いで、いつも休みました。

他人とのコミニュケーションが下手だったと思います
本当に伝えたいことをちゃんと伝えることが出来ずに
意図とは反対のことを言ってしまったり・・・・

習っていた習字の先生に失礼な発言をしてしまい
同じところで習字を習っていた同級生に
学校の帰りの会で、そのことを皆の前で言われ
クラス全員の前で反省をさせられました・・・・

更に学校が大嫌いになりました。

浮かれている奴ら(同級生)はバカだと思いました
こいつらに私のことなんて分からない。
話しても無駄だ。
喋らないのは、ささやかな抵抗だったのかもしれません

そんな最悪な小学校生活でしたが
家では兄弟たちと野山を駆け巡り遊んでいたので
楽しかったです。

しかし、ある時、父と母が喧嘩して
母が家出しました。
妹と下の弟を連れて・・・・

ショックでしたね
相当。

「私はいらない子なんだ」
そう確信してしまいました。

翌日だったか母は戻ってきましたが
その深い悲しみは消えることはありませんでした。

中学生までは、自殺願望がありました。

夕暮れ時にお気に入りの場所に座り込んで
海に沈んでいく太陽を見ながら

「なんのために生まれてきたんだろう・・・・」
といつも考えてました。

中学生になる少し前に
父が家を出ました。

独自の世界観を持っていて
面白い父でしたので
これも超ショック

しかしこれに関しては夫婦喧嘩を聞かなくてすむと
思うとホッとしましたが、弟達が可哀想でした。


中学生になっても
学校では喋りませんでした。

先生も大嫌い
制服は囚人に気がして大嫌い

以前、PANDORAに掲載された。
自分の描いた絵を「悪い見本」で紹介されたのも
この頃です。

大好きで唯一、自信が持てた絵を・・・・・・

小さな自尊心は木っ端微塵どこか
トラウマになりました。


母にされた仕打ちを書いてますが
自分はすっごく育てにくい子だったと思います。

自分はなぜ、こうなのか?
と言うのも疑問でしたので
紐解いていくと、そういったことが原因になっているんだと
納得できれば、簡単ではありませんが克服に繋がります。

母にされて嫌だったことはなるべくしないように
母に言われて嫌だったことは言わないように

それは子育ての時に実践しました。
そりゃ~出来ない時もあります
分かっていてもブチ切れることもしばしば・・・・

母の夫の扱いの下手さには小さいながら飽きれました。
男性は追い詰めたら、暴力を振るうか出て行くかしかないでしょう・・・

まあ、この経験も夫コントロールの勉強になりました(笑)


学校で喋らない、笑わないは結構疲れるし
飽きたので中学卒業と同時にやめました。

高校生になって始めて学校って楽しいんだ!
と思えました。

毎日ふざけて、やりたい放題。
バイトも始めてお金も稼げるようになったし
帰宅が遅いと母に叱られましたが・・・


「高校生の時くらい自由にさせろ
卒業しても、こんなことしているわけじゃないから」
母にはいつも、そう言ってました。

酒も煙草も当時からやってましたが
シンナーや薬物は、やりませんでした。
基本的には真面目なんです(笑)

終始、母親のやり方への不満や怒りを感じましたが
大人になって冷静に見れば、彼女のしてきた判断の数々が
彼女の人生を決めて、結果、一人である。

父と暮らしたいと思っているらしいが
父が拒否している。

なぜ、そうなったのか?

人の話をまず、否定。
自分の尺度でしか見れない
指摘しても、私はこれでいい!と開き直る

死んでいることを認めない低級霊みたいです(笑)

自分がこうなのは母(祖母)が原因だとも言います。
分かってるんなら直せっつ~の・・・
とっくに亡くなっている祖母への恨みつらみを
延々と語ります。

まあ、私が今回、やっていることも同じですが
分析しているのです。
また、この程度の辛さは、歳をとって理解して克服することは可能ですと
伝えたいのです。

情報を収集する(記憶や過去の資料など)
分析する
原因を突き止める
納得できる対処法を探す
これを繰り返せば今生のトラウマは大概何となるかなと思います


まあ、母とは1年に一度会うくらいなら
優しくできるので、丁度いいです。

働き者で真面目なんですがね・・・・・
舅と良く似てます。

未分類 | コメント:2 |
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この記事のコメント

うおお
なんか似とる~!
けど決定的に違うのは
意志がはっきりある事かなぁ
私はひたすらびびってきた。。。
どうにもならない状況でも
自分はこうしよう
こうあろう
と 思ったり
考えられる自分を
保てるか保てないか
ここ分かれ目ですかね
最近
もういいや闇って何が悪いんだとか
思っちゃう自分に困っとります。。。

こういう時って
しずさんはどうしてるの??
2009-04-03 Fri 01:53 | URL | にっしゃん #/pHIRAno[ 編集]
闇は十分経験したので今生は光を目指そうと思うようにしています。
闇の先には、もっと暗い闇しかありませんから
2009-04-03 Fri 17:13 | URL | しず #-[ 編集]

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