つれづれなるまま

血の道 母の巻

本当に人は興味のないものに関して
まったくの無頓着

それについて考えたこともないし
その存在にも気付かない

人は自分が見たいものを見ており
その自分が見ている世界が全てだと思う、思い込む

なーんていうとアレですが大体はそうじゃないでしょうか
もちろん?私も同じです。

ただ、あるときセレブ愛人に言われたのです。

「あなたはあなたのお母さんのことを嫌いと言うけれども
嫌いという感情が湧くならば、それは好きと同音異義語だよ」

言葉は優しいけど雷で打たれたような電流が体を走りました。
(雷に打たれたことねぇけど)

しかもそれは私がよく使うフレーズで
他者には言うですよ
偉そうに・・・
そりゃもう上から目線でw

で、考えてみた
たぶん、初めて母親の人生を真面目に考えてみたかも

どうでも良かったし
興味なかったので真剣に考えたことが無かった



以前、父親には「なんであいつ(母親)と結婚したんじゃ?」と尋問したことがあるので
そこは平等に?母親にも尋問というか流転してきた経緯を事情聴取することにした


母方の祖父母は共に奄美大島
祖父は10数人兄弟の長男 ボチボチエリート?
祖母は女系家族の長女(?)実家はサトウキビ農家 本人は教員やってました

出会って結婚しました
仕事の都合で台湾行きました

長女生まれました(これが私の母親)
長女2歳くらいで終戦になりました

台湾から引き上げました
長男生まれました
次女生まれました

祖父が亡くなりました(たしか病気・20代でしょう)

祖母は働かないと食べていけないので教員に復帰したいから子供をみて欲しいと
姑に頼むも断られ(それにも理由があるけど割愛)
こんちくしょう!と思った祖母は子供を連れて家を出ることを決意するも
長男を置いていけと家を出る条件にされ

泣く泣く長男を実家に残し
長女と次女を連れて姉妹のいる佐世保(たぶん)行こうとするが
今とはまったく違い

沖縄同様、奄美大島も本土として認められておらず
本土上陸には密航という手段しかなかった

それもストレートには行けないので隠岐の島を経由して
幼子二人を抱えての密航はどんな気持ちだったのだろうか・・・

体験していなくても
想像することは出来る


母親いわく
祖母は長男の嫁なのだから
祖父が亡くなったとしても、そこに居座ることは出来た
だけどその立場を自分が許せなかった

明治女の根性パネェ!

というか。。。
グランマ(そう呼べと命令されていたw)せめて子供が小さい間はおとなしくしていれば良いのに~~~

って思うんです
客観的には
しかし、私も家でじっとしているのが生に合わないというか
どの子も1歳で保育園に入れて働いてきました
1歳になるまではオンブして仕事してました


そういう血なのでしょうか


さて佐世保へ密航できた
母子の行方はいかに!


つづく(のか?)




おコト豆知識?

そう遠くもない過去
他は知らないけど奄美では農家に苗字はなく
いつだったか忘れたけど農家も苗字を名乗りなさーいとお達しがあり
でも農民だから? 使って良い漢字は一文字ねと言われたそうな

なので祖母の旧姓は堺(さかい)
きっとどこからかどこまでの堺だったのでしょう

先日、息子が帰省した際
突然 沖縄いってサトウキビ畑で働こうかと思うんだよね~と申しまして
なんでサトウキビ? と聞きましたら暇な時に甘いもの舐め放題だから
ですって。。。

舐めるんじゃなくて
噛まないとね

ま、お好きにどうぞ・・・







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