つれづれなるまま

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大人になったら?

物心ついて大人になったらOOなりたいと思った記憶

「はさみ将棋の先生」とじいちゃんに言った。
子供だったからそんな職業があるかなんて事は考えていない。
五歳か六歳くらいだったかな

何故「はさみ将棋の先生」だったのか
単純にじいちゃんと挟み将棋していて
「しーたん(子供の頃はそう呼ばれていた)は挟み将棋強いな~」
と誉めてくれたからだ。

勿論、じいちゃんはワザと負けてくれていた。

それは何となく自分の中で自信となり
本将棋や囲碁などもよくやっていた。
もう忘れちゃったけど

じいちゃんも父親も絵を描いていた。
じいちゃんは水車小屋のミニチュアを作って年金の足しにしていた。
父親は油絵、陶芸、音楽・・・常に好奇心旺盛だった。

私も子供の頃から絵を書くのが好きだった。
暇さえあれば絵を描いてた

漫画だったり人物画だったり風景だったり静物だったり

漫画が好きだったから漫画家になりたいと思っていた
結構、本格的に書いていた
小学生から中学くらいまで

絵は書けるがストーリーが作れなかった
妄想力が足りなかったのかな

母親に言われた「そんなんでは食べていけない」

「何かをやりたい」とか「こういう仕事につきたい」
という気持ちは自分の内側からしか湧いてこない。

そんな大切な芽をなぜ、すぐに踏み潰すのだろうか
だから私は「漫画家になりたい」という息子を否定しない
やりたいことやって生活費が足りなきゃバイトすればいい。

中学も三年になり高校受験が迫っていた時
勉強はまったく出来なかったので高校に行くのも嫌だったから
中卒で働こうと思った。

その時なりたかった職業が「美容師」だった。

中卒で働くことを母親に猛反対されて
行くだけでいいから
友達を作るだけでいいからと説得されて
県立を一校だけ受けた。 滑り止めはなし

母親曰く、その馬鹿高校に落ちるくらいならいかなくてもいい。だと

高校生活は想像していたより楽しくて毎日ぶっとんでいた。
何とか卒業して 服が好きだったのでブティックの店員になった。18歳で親元はなれ埼玉県民になる。

一年半勤めたら妊娠したので結婚した。
結婚した相手の実家が美容院を経営していた。

母に手伝ってと言われ、定年前にリタイアしたじいじに子守をしてもらい働いた。

気づけばお客さんから二代目と呼ばれていた。

んじゃ~免許とならいとと通信教育で美容学校を卒業してインターンを経て国家試験を受けること数回・・・ やっと合格。

今に至る。

長いものに巻かれる人生
あるがまま
流れに身をまかせ 中学の時の夢が叶ったな
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